北海道札幌市豊平区西2条の軍事遺跡、札幌陸軍墓地跡を歩いてきました。
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子供たちを連れて、札幌市営地下鉄東豊線の月寒中央駅前にやってきました。
月寒中央駅の4番出口上に建つビルの一階には、月寒歩兵第25連隊ゆかりの食べ物といわれる「月寒あんぱん」を販売している店舗「月寒あんぱん本舗 ほんま」があります。
この「月寒あんぱん」を買うために、店舗に立ち寄ってきました。
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こちらはつきさっぷ郷土資料館に展示されていた「アンパン道路」に関する資料です。
月寒あんぱんは、陸軍第七師団歩兵第25連隊が町の要請により、のちにアンパン道路と呼ばれるようになった平岸道路の建設作業に当たったことに由来します。
町は道路工事に従事した歩兵第25連隊の兵隊に、間食として、当時7軒あった菓子店からアンパンを配給し、これが現在の月寒あんぱんになったという。
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こちらがその月寒あんぱん。
写真はつきさっぷ郷土資料館に展示してあったものを撮影したものです。
食してみて、今はあんぱんというより、かぼちゃパイっぽい質感でしたが、当時のままなんですかね。
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ちなみにつきさっぷ郷土資料館には、「ほんま商店」のかつての姿が見れました。
ほんま商店は1906年創業とのことですが、いつの時代の姿でしょうか。
月寒あんぱんを取り扱う店は、一時期には10軒ほどあったそうですが、アジア・太平洋戦争中の物資不足により多くの店舗が休業に追い込まれ、現在、月寒あんぱんを取り扱っている店はほんま商店のみとなっています。
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ほんま商店内の中央には、北海道・樺太を舞台とする漫画「ゴールデンカムイ」とコラボした月寒あんぱんが販売されていました。
ゴールデンカムイの中でも人気があると思われるキャラクターが、月寒あんぱんの包装袋に描かれています。
ゴールデンカムイ劇中で「月寒あんぱんのひと」と言われていたのは鶴見中尉でしたが、人気の関係か、包装袋に中尉の姿はありません。
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月寒歩兵第25連隊ではありませんが、同じ第七師団の歩兵第27連隊に所属する鯉登陸軍少尉と月島陸軍軍曹。
鯉登少尉は興奮すると早口の鹿児島弁になってしまい、誰も聞き取れないという設定ですが、これは本当に聞き取れないもののようで、アジア・太平洋戦争中、ドイツ駐在の日本大使館と、日本の外務省との間の連絡に、通信が盗聴されても解読できないよう早口の鹿児島弁が使われたという実績があります。
その通信はアメリカ陸軍の情報機関員によって予想通り盗聴されていましたが、アメリカ陸軍情報部がそれが早口の鹿児島弁であることに気が付いたのは、通信がなされてから二か月も後のことだったという。
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「ゴールデンカムイ」の物語は、遺骨が話の核になっています。
満州の土に眠る、日露戦争で戦病没した第七師団兵士の遺骨が、ゴールデンカムイスタートの一つの理由でした。
日露戦争は、かろうじてとはいえ勝利した戦争ですが、勝ち戦であっても戦友の遺骨を日本へ持ち帰るのは難しかったのでしょうか。
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そのほんま商店から西南西へ生活道路を300mほど歩いたところには、第七師団将兵の遺骨が祀られている公園「平和公園」があります。
平和公園の入り口に立つ重厚な煉瓦造りの門柱は、かつて月寒に置かれていた「北部軍司令部」正門の門柱です。
敗戦後の昭和21(1946)年に司令部が火災で焼失し、門柱のみが残されたためにここ平和公園に移設したとのことですが、なぜこの公園に移設したのかというと、この平和公園のある場所は、かつて「札幌陸軍墓地」であったからでした。
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北部軍司令部正門門柱の裏側には、「月寒忠霊塔参道」と書かれた石柱がそびえ立っています。
月寒忠霊塔は日露戦争からアジア・太平洋戦争までの戦没者2115柱の遺骨と1743人分の名簿が納められている納骨塔で、この参道の先に建立されています。
日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日中戦争、アジア・太平洋戦争と、外地での戦争を繰り返してきた大日本帝国。
そこで亡くなった兵士たちの遺骨は、その戦友が持ち帰ってきたものでしょうか。
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特に負け戦で、戦場が日本から遠く離れていたことが多かったアジア・太平洋戦争においては、遺骨の持ち帰りは困難を極め、兵士たちは火葬した戦友の遺骨を紙に包み、飯盒の中などに入れて可能な限り祖国に送り返そうと努力したと伝えられています。
しかし月寒忠霊塔に納められているのが「名簿」であるように、戦友の遺骨を持ち帰ることは、生きるか死ぬかの連続であった兵士たちにとって、非常に難しいことでした。
それでも兵士たちは、戦死体が見つからない場合や、火葬すら困難な場合であっても、その兵士の飯盒や印鑑、認識票など、死んだ戦友の身体に触れていた品々とともに、その魂だけは祖国へ送り返そうとしたという。
「満州が日本である限りお前たちの骨は日本の土に眠っているのだ。」ゴールデンカムイで、戦友の遺骨が残る満州を日本の領土とするため戦い続けた鶴見中尉も、そうした兵士たちと同じ想いであったのかもしれませんね。
(訪問月2022年8月)