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墨田区向島の桟橋、言問団子桟橋に行ってきました。
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もうすぐ、2024年も終わりますね。
時が経つのは本当にあっという間で、年が変わる年末には特にそれを思い知らされますな。
2024年最後の記事である今回は、向島にある和菓子屋「言問団子」と、その近くにある桟橋「言問団子桟橋」です。
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台東リバーサイドスポーツセンターにて行われた娘の習い事のイベントの送り迎えに来ていたこの日。
娘の出番が一時中断したのを見計らいこっそりスポーツセンターを抜け出して、隅田川対岸にある有名な甘味処「言問団子」にやってきました。
言問団子は江戸時代末期に創業した歴史深い和菓子屋で、幸田露伴など多くの文人も訪れた場所であるという。
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小豆餡、白餡、それに「青梅」という黄色い味噌味の餡に包まれた三つの団子が並ぶ言問団子。
在原業平が東国を旅した時に読んだ和歌「名にし負はば いざ言問はん 都鳥 我が思ふ人は ありやなしと(古今和歌集)」より言問団子と名付けた団子で、あっさりした甘味と串に刺さないという団子の原点を守り創業以来のつくりを続けているという。
駅からのアクセスの良くないためか、店は貸し切り状態でのんびり言問団子をいただくことができました。
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子供イベントと暑さで消耗した体力を言問団子で少し回復させ、店を出ると店頭にこんな案内板があるのを発見しました。
案内板は「言問団子と郡司大尉」と題されているところ、この郡司大尉というのは、大日本帝国海軍の軍人で、北千島の開拓を行った郡司成忠で、前述の小説家幸田露伴の兄です。
言問団子の裏手には「言問団子桟橋」という桟橋があり、1893(明治26)年3月20日、この桟橋から千島列島開拓に向かう郡司大尉率いる五艘の端艇が出発したという。
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言問団子から首都高速六号向島線下の道路を横断した約50m先の隅田川沿いに言問団子桟橋があります。
現役の桟橋であり、今では屋形船の発着場として使用されているため、桟橋の立ち入りはできないようでした。
この桟橋から、郡司成忠大尉は端艇(ボート)で北千島に向かい、紆余曲折を経て北千島占守島に上陸し、探検と開発に成功します。
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郡司大尉の出発時、隅田川の両岸はこれを憂国の壮挙と称える群衆で埋まり、花火が打ち上げられ、歓呼の声と楽隊の演奏が響く中での船出であったという。
なお訪問時の隅田川両岸は、パンツ一丁で日光浴をしているおじさんたちで埋まっていました。
鳩と日光浴のおじさんたち、平和な休日のリバーサイドですね。
良いお年を。
(訪問月2024年9月)