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東京都北区中十条の戦争遺跡、八幡山の防空壕跡を歩いてきました。
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子供たちを連れて、北区十条仲原の清水坂公園にやってきました。
清水坂公園は、北区を南北に走る武蔵野台地の崖地を利用した立体的な公園です。
公園の西側奥には、急斜面を利用した蛇行するローラー滑り台があります。
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以前に来たときは、子供たちに「滑らない滑り台」と酷評されていた清水坂公園のローラー滑り台。
今回はダンボールを尻に敷くことで、スピードを確保できたようです。
一回滑るごとに、この急斜面を登っていかなければならないので、いい運動にもなります。
以前この清水坂公園にやってきたときに、清水坂公園の急斜面に防空壕があったとしてもおかしくはないと考えたのですが、清水小学校に通っていたというたくあんさんによるとその場所で穴を見た記憶はないとのことでした。
しかし、公園の近くにある若宮八幡神社がある「八幡山」の崖には、そこにマンションができる以前に防空壕が残っていたそうです。
マンションは崖状の台地を削って造られたのですね。
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というわけでその場所を確認に、清水坂公園から東へ約50mのところにある八幡山の入り口にやってきました。
いきなりの山道で、家族連れで賑わう整備された清水坂公園からやってくると突然別世界に入り込んでしまった感があります。
この八幡山の山頂には1716年から1736年に鎌倉の鶴岡八幡宮から分祀して創建されたと言われる若宮八幡神社があり、ここから「八幡山」の名が付いたのでしょうが、それ以前は何という名前の山だったのでしょうか。
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山道を登っていくと、途中に休憩できるような簡易なベンチがありました。
ベンチにはタバコの空き箱が置いてありましたが、このやぶ蚊だらけの場所でいったい誰が休憩したのだろう。
そのベンチの向かい側の山肌に、土留のような木製の構造物があります。
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よく見ると木は線路の枕木で、それが組み合わされて蓋のようになっていることが分かります。
この場所は、アジア・太平洋戦争中の防空壕の入り口があったと伝えられている場所です。
もっとも蓋の中は、発砲コンクリートで埋め戻し済みとの証言が残っているという。
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その場所から山道を少し下ったところにも、同じように線路の枕木が組まれ、蓋のようになっている場所がありました。
防空壕は通気性の確保と、一方の出口が破壊された時のために、出入口は二つ以上造るのが原則であったという。
八幡山の周囲はもともと国鉄の土取場で、その土砂は京浜東北線の築堤などに使われていたというから、山肌が剝き出しで横穴式防空壕を造りやすいところだったのかもしれませんね。
(訪問月2024年9月)