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台東区上野公園にある神社、上野東照宮のぼたん苑を歩いてきました。
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2022年に訪問してから3年ぶりに、上野恩賜公園にある上野東照宮ぼたん苑を訪問し、冬に咲く冬牡丹を見てきました。
上野東照宮ぼたん苑は、徳川家康を祭神とする上野東照宮の敷地内に1980年4月開園した日本庭園で、回遊形式の庭園に植栽された牡丹は、冬は40品種160株が栽培されているという。
入苑は有料で大人1000円、昔の自分のブログを見ると6年前は700円と記載されていたので、日本円の貨幣価値の下落を感じます。
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冬ぼたんは霜よけの藁の下に、今年は暖冬であるからでしょうか、大きな花を咲かせていました。
こちらは純白の花びらが白雁の翼を連想させる「島根白雁」という名前の牡丹。
島根白雁の島根はそのまま島根県のようで、島根県松江市八束町波入で作出されたと伝えられているそうです。
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島根県松江市と見て、そういえば何年か前に松江市の大根島にある由志園を訪問した時のことを思い出しました。
松江市八束町波入は、まさに由志園があった場所の地名です。
上野東照宮ぼたん苑の牡丹は、この「島錦」のほか、「島大臣」、「新島の輝」など名前に「島」を冠する牡丹が多かったですが、この「島」って、由志園があった牡丹の産地「大根島」の「島」なんですかね。
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こちらは「不昧公」という名前の牡丹。
この「不昧」という名前も松江市滞在中に行った松江フォーゲルパークにて勉強しました。
不昧(ふまい)は、江戸時代中後期の出雲松江藩主松平治郷の号であり、その号に因んだ牡丹であると思われ、なるほどこの牡丹も松江に関する牡丹のようですな。
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外国人観光客の姿も多く見られた上野東照宮ぼたん苑。
ぼたん苑から東照宮の参道に出るとさらに外国人観光客も多くなり、上野恩賜公園ってこんなに人いたっけなと思うような賑わいようです。
これが春の花見の季節になれば、もう人ごみでいっぱいになってしまうことは想像に難くなく、人ごみが苦手な私は上野から足が遠のくものと思います。
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春でなくても賑わいを見せている上野恩賜公園。
さて、インバウンドで盛り上がっている感のある上野恩賜公園にあって、この公園がかつてのアジア・太平洋戦争で発生した東京大空襲で被害を出した場所であることを示す戦災樹木がいくつか、今もその傷跡を残したまま立ち続けています。
写真の樹木は上野駅公園口、パンダ橋のたもと近くにたつムクノキで、幹が空洞になっているのは1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲で被災し、内部が炭化してしまったからだという。
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西郷隆盛像の後ろにあるこのイチョウも、同じく東京大空襲で被災した戦災樹木とされています。
日本近代化の幕開けとも言える戊辰戦争に関する史跡は、上野恩賜公園に保存されていますが、アジア・太平洋戦争に関する史跡は、わずかに一見してなんだかよく分からない「時忘れじの塔」があるくらいとなっています。
上野東照宮の境内にある能舞台前には、かつて荒川区の工場現場から掘り出された戦災樹木が「戦災の証言者」という解説板付きで展示されていたそうですが、見つけることができませんでした。
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東京都美術館の裏庭に残るこのイチョウも、戦災樹木とされています。
アジア・太平洋戦争と東京大空襲も上野公園の歴史のひとつなのだから、戦災樹木には戦争の証言者として解説板でも設置してほしいと思うところですが、牡丹や桜、美術館や博物館で風流に彩られ、インバウンドを呼び込む場所である上野恩賜公園にとって、世界を相手に戦い燃やし尽くされた過去を訴えるものは相応しくないのかもしれません。
ただ暗い歴史の証言者は、行楽を楽しむ人で溢れかえる公園を見おろしながら、かつてここであった戦災の事実を、その身をもって示し続けています。
(訪問月2025年1月)