帝都を歩く

帝都・東京。当ブログは東京住まいの管理人が、帝都東京が明治期から現在まで歩んできた道を学ぶため、帝都および周辺都市に残る戦争遺跡や歴史的建造物、地下壕・洞窟やB級スポットまでを探訪して見聞を広めるブログです。東京観光等に役立てていただけたら幸いです。

カテゴリ:史跡名勝

福島県田村市にある鍾乳洞、あぶくま洞を歩いてきました。2023年の夏休み、家族で福島県の有名鍾乳洞、あぶくま洞にやってきました。あぶくま洞は、1969(昭和44)年、石灰石の採石中に偶然発見された鍾乳洞です。全長約600mの洞内には、種類と数の多さでは東洋一ともいわれる ...

島根県松江市八束町の日本庭園、由志園を歩いてきました。 島根県を旅行した折、牡丹と高麗人参の島として知られる、島根県の大根島にやってきました。大根島には、山陰最大級の池泉回遊式日本庭園「由志園」があり、ここは松江市の観光名所となっています。1万坪以上の大 ...

島根県松江市殿町の国宝、松江城天守を歩いてきました。島根県松江市に旅行に行った際、山陰地方で唯一天守が残されている城跡、松江城を訪問してきました。松江城は、1611(慶長16)年、江戸時代前期の大名、堀尾吉晴によって築城された城郭です。松江城の天守は、全国に12城 ...

東京都西多摩郡奥多摩町日原の鍾乳洞、日原鍾乳洞を歩いてきました。竜ヶ岩洞、関ケ原鍾乳洞、富岳風穴、足尾銅山、土肥金山など、旅行に行くたびに洞窟に潜っていたばかりに、旅行に行けば洞窟に行くもんだと思うようになってしまった子供たちを連れ、東京の有名な鍾乳洞「 ...

文京区後楽一丁目にある特別名勝、小石川後楽園を歩いてきました。小石川後楽園は、1629年、水戸藩の初代藩主徳川頼房が、京の作庭師・徳大寺佐兵衛に造らせた大名庭園として知られる庭園です。水戸黄門として知られる二代藩主光圀の代に完成したとされ、明の儒学者・朱舜水 ...

千代田区紀尾井町の日本庭園、オータニ庭園を歩いてきました。新型コロナウイルスで大騒ぎだった2020年ももう終わりですが、皆様はいかが過ごされましたか。仕事が落ち着き、子供たちも成長してきた私にとっては静かな年で、比較的平穏に過ごすことができたように思われます ...

山梨県南都留郡鳴沢村の景勝地、富岳風穴・鳴沢氷穴を歩いてきました。竜ヶ岩洞、関ケ原鍾乳洞と旅行してすっかり洞窟好きになった子供たちを連れ、青木ヶ原樹海にある溶岩洞窟、富岳風穴に入ってきました。富士山麓、青木ヶ原樹海内には風穴や氷穴と呼ばれる溶岩洞窟が無数 ...

岐阜県不破郡関ケ原町にある鍾乳洞、関ケ原鍾乳洞を歩いてきました。浜松の竜ヶ岩洞に行って以来、すっかり洞窟探検が好きになった子供たちを連れて関ケ原鍾乳洞に行ってきました。関ケ原鍾乳洞は岩倉山の麓にある鍾乳洞です。東海の奇勝として知られており、関ケ原町指定の ...

千葉県富津市の景勝地、富津岬を歩いてきました。房総半島の小糸川河口から東京湾へ約5キロメートルに渡って伸びる富津岬。東京湾口を塞ぐように突き出す富津岬は、横須賀の観音崎や猿島とともに幕末から太平洋戦争の敗戦に至る帝都防衛の要地でした。今回はこの広大な富津岬 ...

静岡県浜松市北区にある鍾乳洞、竜ヶ岩洞を歩いてきました。浜松の竜ヶ石山の麓にある観光鍾乳洞、竜ヶ岩洞に子供たちを連れてやってきました。竜ヶ岩洞は総延長1000mに及ぶ大鍾乳洞で、そのうちの400mが一般公開されています。新東名高速道路ができたことにより、新東名浜 ...

豊島区駒込にある都営霊園、染井霊園を歩いてきました。春には桜の名所になる都立染井霊園。広大な敷地ながら巣鴨や駒込の駅から近いところにある染井霊園は、これまでも何度か散歩したことがあります。今回は息子と二人東京スイミングセンターの近くを散歩していると、霊園 ...

神奈川県小田原市城内にある城跡、小田原城址公園を子供たちと歩いてきました。戦国大名・小田原北条氏の居城として知られる小田原城。小田原城は北条氏による関東支配の中心拠点となっていた城で、小田原城址公園はその跡地に作られた公園です。小田原城は明治3(1870)年に廃 ...

八丈島八丈町樫立にある軍用道路、防衛道路を歩いてきました。現在地は八丈一周道路、樫立の伊郷名バス停です。ここ伊郷名はかつて湯郷名と呼ばれ、温泉が湧き出ていて大きな集落があったと言われています。しかし宝永年間に起きた地震の際に温泉源が変わり、まったく温泉が ...

八丈島八丈町末吉にある天然記念物、ポットホール散策路を歩いてきました。現在地は八丈島の中之郷地区にある観光名所、裏見ヶ滝です。ここは「トリック劇場版2」のロケ地でもあり、ネットや雑誌では八丈島観光でここは見なきゃだめ的な感じで紹介されている観光名所です。 ...

八丈島八丈町大賀郷にある史跡、宇喜多秀家の住宅跡と墓を歩いてきました。帝都・東京から南へ約290km離れた太平洋上に浮かぶ島、八丈島。八丈島は江戸時代において罪人の流刑地だったことで知られる島です。このため八丈島は流人の島と言われていますが、別に島人の多くが流 ...

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